カギはたいせつなもの

子供の頃一度家のカギをなくしたことがあります。結果的にそのカギは見つからなかったのですがそのせいで高校生まで自分の鍵を持たせてもらえませんでした。そのため親が買い物などへ行っているあいだに帰ってきてしまうとカギがなく外でまたなくてはいけないこともしばしばそこらへんでカギはなくさないようにしようと思った自分は自転車のカギを肌身離さず持っていました。一瞬離れるだけでも自転車にカギをかけていました友人に「すぐもどるからいいのに」と言われたこともありましたが必ずかけていました、そのおかげで自転車盗難にも会わずモノをなくすことが少しずつ減っていきましたただ成長しただけかもしれませんがね。高校に入学すると「家」「ロッカー」「自転車」「部活のロッカー」などカギをもつ種類が増えたのですが、ほとんど無くすこともなかったです。ある日友人が自転車のカギを無くした時がありました。その時は夏だったのですが自分含む3人で探すことになりました。カギを無くした友人はそれほど仲のいい友人では無かったのですが自分も一緒に探しました、もうひとりの友人は少しめんどくさそうにたまに携帯をみたりとしていましたが、自分のカギでなくてももうちょっと探してあげるべきだろうと思いました。しかし気が弱かった自分は何も言えませんでした2時間ほど経ったとき無くした本人が「もうないから諦めよう」と言い出しました自分は見つけたかったですがこれだけ探してもないものは無いのかもと諦めました、お礼に帰りに飲み物をおごってくれたのですがその時もうひとりの友人が「長かったし疲れたからもうちょっとなんかおごれ」と言い出しました、さすがにそれに僕は「まじめに探してもないのによく言うな」と強くいってしまいました、それで諦めたのかその友人は帰って行きましたその後カギを無くした友人が「お前だけにはなんかもう一つおごってやるよ」と言ってくれました。僕は遠慮したのですが押しに負けてチョコレートをもらいました数年後卒業して皆バラバラになりましたがカギを無くした友人とはいまだになかよくやっています。